2016年02月20日

神の仕事に宿る悪魔の心

介護士とか保育士は仕事としては神に近い職業です。神の手足とも言えるこれらの職業の現場に今いろいろな問題が起きています。川崎の養護施設で起きた介護士による入居者老人三人への殺人行為はベランダから投げ下ろして殺すという考えられない人間としての残忍行為です。夜中にべランダのそばに立ち老人を落とそうとして持ち上げている人間の姿を想像してみてください、身の毛のよだつ情景と言えます。p保護士が幼児に起こした事件はワサビを載せた唐揚げを食べさせるという常識を逸脱したものです。この二人がしたことは神の仕業ではなく悪魔そのものの行為と言えます。この様な事件は養護施設や保育所を選択する側の立場からすると何を選択の基準にしたらよいか迷うところです。これについていわゆる専門家が従業員の在職の長さをその一つにあげています。その事は人の目で分かる事業所の評価の一つであることは間違いないでしょう。しかし長い在職者と言つてもそれが永遠の神の心の持ち主かかどうかは誰にも見分けはつきません。受益者(老人も子供)は信じるしかないわけです。どんな法律を作つても人の心の瞬間の変化は神のみしか知り得ないことなのです。だから殺意があつたかどうかなんてことが裁判で一つの基準になるのでしょう。永久に神の心を持つもののみがつく職業のはずが必ずしもそうなり得ないところに悲劇が起こるのでしょうが、この心の問題のほかに神の職業に対する報酬の低さも一方の大問題なのです。人間を一人殺せば理由の如何に関わらず。瞬間に死刑1当の罪過を与えるべきでしょう。それから一つずつ減刑に値する理由を審理していく様にするべきです。これは私の考えです。人を殺した者はとりあえず死刑のレツテルが妥当です。今回二つの世界で起きた不幸な事件は現実の世界の裁判に任せるしかありません。彼ら彼女らの離職を防ぎ、その世界の陣容(人材)を厚くするにはまず待遇を改善しなければならないのでしょう。政治もこの世界を社会の活気に役立たせようと必死です。しかし二つの世界ともに対象は弱者です。企業として考えれば儲けを絞り出す対象ではありません。わかりやすい例に前にも述べましたが居酒屋チエーンのワタミが養護施設の経営から徹退してしまいました。つまり儲けるにはかつたるいということでしょう。働く人たちの待遇改善を叫んでも一般の受益者は弱者なのです。その世界の活気に寄与するパワー(経済力が充分でない)があるはずはないのです。働く人間の資質が落ち今回の様な類似事件が多発するのも必定なのです。我々凡人にも悲観的未来が想像されます。昔の家族主義が人々(代議士)の口の端にのぼる昨今です。生活様式が一変した今その回気を望むのも絶望の現実です。本来天使であるべき介護士や保育士の突然変異に受益者は心の中でおののいていなくてはならないのでしょうか、待遇改善は当然のことですが、年間一億の経費がかかる國会議員でも質の低下は目を覆うばかりです。待遇改善しても介護士や保育士が全て天使の心になるわけでもないのでしょう。しかし待遇改善は天使の仕事をしてもらう為への最低条件だということも確かです。
posted by マスター at 10:22| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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