2015年12月19日

阪神の冴えない球団史の原点ここに在り

阪神の冴えない球歴の原点ここにありーーーーーーー昔懐かしい阪神のお話をしましょう。これはいまから65年前のお話です。つまりこの年日本職業野球連盟として8球団で運営されていた日本のプロ野球がセリーグとパリーグの二卵性双生児として産まれ変わつた年であり、近代野球に足を踏み出した年でもあります。後に伝統の一戦といわれる阪神巨人キツコウの時代が実質終焉を遂げた年とも言えるのです。この年までが阪神が巨人を圧する互角以上の保持し洗練された巨人に対して荒々しい阪神の野武士の風貌がお互いの強さを際立たしていたのです。新しい旅立ちの1950年呉、別当、土井垣、本堂、大館、以上野手、大エース若林以上強豪と言われた阪神の主力メンバーが新設パリーグの大毎オリオンズに引き抜かれてしまつたのです。まさに阪神の心臓と背骨を引き抜かれたも同然の悲惨だつたわけです。今思えばこれは後に起こつた阪神の災禍江川事件など比較にならない阪神にとつての大事件と言えるものです。その後長きに亘り読売巨人の尻に従う卑屈阪神の姿はこの時の出来事が大きく影響してた結果とも言えるのです。当時子供だつた私はこのことを大したことと受け取つてもいませんでした。またどうしてこの様な事が大毎オリオンズとの間に行われたか疑問を持つこともありませんでした。良く大リーグで行われる新設球団に対する選手の供給の様なことを阪神が自分の身を削つてやつたとも受け取れません。未だにこの事の真相は私にもわかりませんが、大毎オリオンズにしてやられた感だけが強く残つています。その後65年間に数え切れないほどの阪神の経営上の後手、後手を見れば、何かセパ分裂の時の阪神という会社の油断が見通せてきます。当時の不可解をその後の阪神の数々のヘマを見て納得、理解するしかありません。大毎に去つた呉は1番センター、別当は3番ライト、土井垣は5番キャッチャー、本堂6番セカンド、大館7番フアースト(おまけに若林は阪神で監督も経験し、また大エースでもあります)つまり阪神に残留したレギュラーはタツタ三人2番レフト金田、4番サード藤村、8番ショート西江(長谷川)と惨憺たる有様だつたのです。そこに球界を我がもの視する読売巨人に互していくものは微塵もなくなつています。これがどんなことだつたかは新リーグ(セリーグ)で阪神が初優勝(藤本を擁して)するまでに掛かつた時間の長さをみれば良くわかります。阪神のスカッとしない65年の歴史にはこの1950年の出来事が大きく影響していることで間違いありません。現場に前向き思考の金本を得て再建を目指すも阪神が持つ薄暗い会社の体質が金本をアッという間に潰してしまう危険は有るのです。阪神65年日本シリーズチャンピオン1回リーグ覇者5回は誇りと見るか、惨めと取るか。この事を球団は深く考えて欲しいのです。巨人の岡本を今年何度か目にしていますが大成のにおいがしま
posted by マスター at 10:00| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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